フィリピンにきてキリスト教について考えてみた

わたしは無宗教なのでいまいち、宗教というものがわかりません。神を信じれば天国に行ける、確かに自分が幸せになれるのであればぜひとも神でも悪魔でもなんでもいいので、信じたいと思いますが、かれこれ30年以上、神というものに祈りを捧げたことがないわたしにとって、神に祈りを捧げるというのは慣れないものです。人は幸せを求めて生きているので、がんばって真似はしたいと思っている今日この頃です。

さて、無宗教の私から宗教を独断と私目線で考えてみたいと思います。

人は一人で生きることができません。そして幸せを求めて生きます。何が人を幸せにするのか、お金ではないですよね!?人が人を幸せにしてくれます。なので、私たちは、グループを作ることになります。

グループとは自然にできるもののようですが、人々はそのグループを意識的、無意識的に選んでいます。日本だと、同じような年齢、同じ趣味、見た目が良く似た人、同じ職場、同じバイト先などでグループができやすいです。

宗教も同じ面を持っていると思います。人は人と生きることで幸せになれる。同じ宗教という共通点があることで、人は他のなんの共通点もなかった人と共通点ができ、そこから仲良くなることができ、そのグループに所属することで所属感から幸せを感じることができるのではないでしょうか。

一般的に、見た目が同じ、職場が同じ、同じ趣味、同じ年齢、どのグループにも言えることですが、そのグループはとてももろく、ちょっとしたことがきっかけで、そのグループは崩壊したり、そのグループから去ってしまうことがあります。たとえば、同じ職場で毎日仲良くしていた人でも、職場がかわれば音沙汰がなくなる、これはよくあることです。

でも、宗教で集まったグループちょっとはちがうような気がします。神を信じるという共通点でつながった仲間たちのつながりは、他のつながりよりも強いような気がします。そしてキリスト教の場合、隣人を愛せみたいな教義もあったような気がします。なので、人は利害関係に関係なく同じグループの人に対してすごくフレンドリーで親切です。

だからなんなんだと言われると、困るのですが無宗教の私から見て、宗教というのは決してオカルト的なものでなく、幸せになるための一つの手段として、決してわるい方法ではない。日本では無宗教が当たり前ですが、世界目線で見ると、神を信じていないという人は変な目で見られるのも事実です。そして私たちの国では毎年3万人以上の自殺者をだしますが、この原因は私たちは私たちの心の中に神がいない、これが自殺大国と言われる一つの理由であるとも思います。心の中に神がいない人は得てして逆境にすごく弱いものです。

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